「ぼくにはなにもない」を読む
大人向けの絵本「ぼくにはなにもない」 Kindle版(作 齋藤真行 絵 さいとうれい)を読みました。
次日の仕事に追われるまま中年となり、振り返ってみると、家族も、友人も、恋人も、生きがいも、打ち込める趣味も特技もなく太っていく「僕」。
生きる意味も見出せず、死ぬ勇気もない。
先日仕事を辞めるまでの自分自身がそこに重なります。
仕事にしがみついているだけ、まだ「僕」の方が立派だよね、とため息をつきながら読み進めます。
しかし「僕」は自分に何もないと知っているから、人を恨むこともなく、人を蔑むこともない。
失うものがないから不安になることもない。
他人に認めてもらいたいわけではないから、人の言葉に傷つくこともない。
安らかな心でいれば、身の回りの風景が「涙が出るほどきれいに見える。」
日々のなんでもない日常に、「幸せを見つけることができる。」
だから、自分には何もないと悩むのはよそう、と締め括ります。
後半の展開は、著者が牧師であることから、なんとも言えない違和感を覚えます。
大変立派な心がけだとは思います。
後半の展開がなければ絵本として成立しないこともわかります。
後半のきっかけになる特別な「きっかけ」「できごと」がないことがこのモヤモヤの原因なのかもしれません。
ただ、こうありたいとは思います。
そして、「僕」のように何もないじゃやはりつまらない、一つぐらいは「生きがい」をみつけてみたいとも思いました。