ミケりん・トラにゃん夢枕に立つ
ふと目が覚めると、朝日に照らされた布団の足元に、先年亡くなった三毛猫ミケりんとトラ猫トラにゃんがちょこんと座り、じっとこちらを見つめていました。
ミケりんは東京で亡くなったはずなのに、どうして実家にいるの?これは夢なの?と惑乱しつつ、起き上がって、右手でミケりんを、左手でトラにゃんを抱き抱えます。
両腕には懐かしいズッシリとした重みを感じます。
自分は今、本当に猫を抱いているのだろうか?
2階から階段を降りると、ちょうど降りた先に真っ白な浴衣を着た母がいました。
朝日が眩しくて、母の顔は見えません。
「オレ、今、猫を抱いてるか?」と母に尋ねる私。
憐れむような声で「いないよ」と答える母。
そうか、と両腕を床に下ろすと、猫たちは和室に降り注ぐ朝日に向かってトコトコ歩いて行きました。
朝日の中に猫たちが溶け込むように消えていくところでハッと目が覚めました。
目が覚めた途端、猛烈な喪失感に襲われ、気がついたら目が潤んでいました。
ミケりんが亡くなってちょうど5年、トラにゃんが亡くなって4ヶ月。
臨終間際の看病疲れで、亡くなった後は悲しむ余裕すらなく、淡々と日常を過ごしてきて、今頃こんな感情に襲われるとは思いもしませんでした。
1月17日に母を病院に送る際、認知症が一段と進んだ母はもう私のことがわからなくなっており、以後食欲のすぐれない日々が続いています。
先日89歳の誕生日を迎えた父もボケが進んでいる印象で目が離せません。
介護施設の職員の方々、および介護保険制度に深く感謝しつつも、肉親の不調は精神的にこたえます。
ミケりんとトラにゃんは、そんな私に「あまり気にするニャよ」と慰めに来てくれたのかもしれません。