マスクについて思うこと
ドイツから日本のマスクの人々を見て思うこと(川口マーン惠美 氏)
https://agora-web.jp/archives/230120082727.html
という記事を読みました。
欧米でコロナ収束後正常化を目指しマスクの着用義務が解除される中、日本ではいまだに皆がマスクを着用している。
マスクに感染予防効果がないことは明らかなのに、他者への思いやりという建前はおろか、顔を見られたくないという内向きな理由で着用を続けるのは異常である。
という大意で、全くもってその通りだと賛同いたします。
と言いつつも、私は相変わらず外出時にマスクを着用しています。
「皆がしているから」「田舎だし、他人の批判がめんどくさいから」という理由がほとんどで、要するに「なんとなく」続けているわけですが、実際マスク着用が嫌なのかというと実はそれほど嫌でもないというのが本音です。
その理由を考えてみました。
まず第一に、花粉アレルギーに比べれば、自分にとってコロナは怖くないということです。
コロナは感染症なので、理屈の上では他人との接触を絶てば防ぐことができます。
ところが花粉アレルギーは逃げ場がありません。
厄介なことに、一度体内で反応が始まればマスクをしようが薬を飲もうが、症状が治ることはありません。
花粉の飛散が終了し、一月ほどかけてゆっくり反応が治まるのをひたすら待つしかないのです。
鼻を詰まらせながら気休め程度にマスクを着用する苦しさに比べれば、花粉シーズン以外のマスク着用は楽チンなものです。
第二に、マスクがもはや一種のドレスコードと化しているのではないかということです。
「他者への思いやり」がそのあらわれと言って良いでしょう。
ドレスコードは時代につれ変わりますから、戦後成人男性の帽子着用の習慣が廃れたように、マスクの習慣も廃れる日が必ずやって来るはずです。
なので、「顔を見られずに済む」というのをせいぜい今のうち楽しんでおこう、と、結構前向きに捉えているのではないかなと。
右へ倣えが大好きな日本人ですから、マスクを外す習慣もあっという間に広がるでしょう。
それが外圧によるものなのか、何かのイベントに起因するものなのかは分かりませんが。
それでも顔を隠したい人がマスク着用を続けるのなら、それはもう文化として認めてあげれば良いのではないでしょうか。
知らんけど。